日曜昭劇場

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<<   作成日時 : 2013/02/02 12:22   >>

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長文かつワシの勝手な解釈がてんこ盛りなので、お時間とご興味のある人は読んでみていただき、それぞれが謎解きに挑んで楽しんでいただけると有難いのう。


ロケットニュースの記事を見て、本物だ偽物だと一喜一憂しているのを傍観していて、面白くてなんか興味がでてきたので、アイルワースのモナリザについて誰が描いたのか、僕の中途半端な知識で勝手に推測してみる事にしました。まずモナリザ財団が35年かけて調査し本物だと断定しているようだが、専門家にも違うという人がいる。ルーブルはノーコメント。wikipediaより。

僕も違うと思っている一人だ。昔どっかでこの砂漠の風景のモナリザの絵を見た記憶があって、そうだ美手帳に載っ
てた模写だと思いだして、引っ張り出してみたら、オスロ国立美術館に飾ってある模写だとわかった。
その絵は1700年頃に描かれたそうだ。
でその模写のモデルになっているのが当然アイルワースのモナリザ(以下AM)であるの
で、AMが描かれた時期は少なくとも1700年以前、すなわちロココより前、バロックか
マニエリスムかベネチア派か、レオ様と同時期のルネサンス期かという事になる。
では、ルーブルのモナリザ(以下L)や、他のレオ様作品とAMを比較してみると、
以下の特徴の違いが見受けられる。

1.他のレオ様作品に見られる硬質さが無い。
基本的にレオナルド(以下レオ様)はデッサンを完璧にし、その箇所、パーツごとに着彩を完成させていく。
全体のバランスについてはデッサンの段階で既に完成しており、絵を塗りながら見る事を
あまり気にしないで画面を構築する。時に未完成のまま終了してしまうのは、レオ様の中
では完成が見えてしまっている為かもしれない。従ってデッサンでほぼ完成している絵画
に着彩していく為、スフマートがないとパーツごとに完璧な形態をとっている為異常に硬
質な画面となる。その為局部的なリアル〜アンリアルが入り乱れるのが特徴だ。しかしA
Mにはスフマートを用いなくても全体のバランスがとれており、樹木も丸みを帯びていて、女性とのバランスをとって角のない柔和な画面構成となっている。

2.レオ様の人物画独特のサイコパシーが感じられない。
僕はレオ様は好奇心旺盛で子供のような純粋な心をもっていた・・・というよりは、どっちかといえば知的でありながら
サイコパスに近い特徴を備えた人物だったのではないかと思う。フィレンツェを出てミラノに自薦状を書いた時も、「私
は兵器を作れます。戦争の為の橋を設計できます。」みたいな内容をメインコンテンツにするし、死体解剖にソドミー
に・・・先行きを考えないで突き進む姿勢はサイコそのものだ。
レオ様のサイコっぷりは絵画にもあらわれていて、膨大な知識に裏打ちされた構図と完璧と言わざるをえない超絶
技巧にもかかわらず、喜怒哀楽の表情が観察的、客観的すぎており、人物の内面を感じさせるような繊細な表現が
ゴッソリ欠落しているのである。日本的に言えば「デロリ」。この知識と感情の乖離こそが、レオ様の絵画を予見的で
謎めいた、凄みを帯びたものに押し上げていると言える。なので三王礼拝を見れば「この人はいったい何を描こうとし
ていたのだ?!凄すぎる」と言わずにはいられない。
また、こう言うと語弊があるかもしれないが、レオ様は基本的に観察せず想像で描く人物画に関して下手だ。レオ様は発明家であり、「どんな下手くそでも美しい人物を描く方法」を使う。つまり人間の心や表情の繊細な揺れ動く美よりも形態的な美、解剖学的な美、完全性の威厳を重んじている。だがその為に人物は型にはまったようになる。
レオ様の感情欠落は様々な絵画に登場する幼子イエスを見るとよく分かる。ラファエロと比較してみよう。ラファエロの描く天使や幼子は多少かわいい。しかしレオ様の描く幼子はかわいくない。つまり構成の一部。そこに他者が感情移入できそうな幼子イエスを描こうという気持ちは微塵もないのである。レオ様にとって画面は他者への伝達手段ではなく。研究成果の発表の場所であるという事だ。
一方、AMを見てみるとかわいい。感情移入ができる。これは他のレオ様絵画の特徴とまるで違う違和感である。後で触れるが「かわいくする為に描き直している」ように見える。ちなみに涙袋が描かれていない。若くかわいく描こうとした意図がある為だ。

3.衣服や頭髪に自然のダイナミズムが表現されていない。
レオ様は、服のしわで水の流れを表現したり、髪で光や空気の流れを表現したりする代用表現が得意だ。衣服という自然と渾然一体となった人間という生身の存在とは何かという謎かけみたいなものだ。従って服のしわ、縫い目、飾り糸もまた自然の一部であり、服以外のものに見えたりする。AMの場合はそう見えない。たとえば組んだ手を覆う衣服のしわは、Lよりもリアルであり鮮明である。卓越した技量でまるでそこに服があるかのように見える。だが服以外の何ものにも見えないのだ。他の部分に関しても同様である。

4.グレーズが完成され過ぎている。明暗対比が顕著すぎる。水面に樹木が反射している。
明らかにレオ様期の絵画よりも新しい時代の表現領域である。もしレオ様がLを制作する前にこの表現領域にたどり着いていたとしたら、これを踏まえて敢えてLを描き直していたのだとしたら、レオ様は研究者達の想像をはるかに凌ぐ天才を隠し持っていた事になる。だがこれは現実的ではない。

5.一発描きの風景のタッチが荒い。透視図法による消失点が左側にある為不安定。左右の二本の柱が歪んでいる。
これもレオ様の他の絵画にはあり得ない。1で述べたようにデッサンで既に完成し、画面は絶対安定。風景は異常なまでに硬質で、その為に岩壁や山脈をフィルタとして多用しバランスを保とうとするのがレオ様絵画の特徴。この硬質性はエイクブラザーズに近い。またパーツごとに着彩していく為、下地風景であっても荒いタッチを残したままにバランスがとれているAMのような方法はとらない。風景の荒いタッチに横風を感じさせておきながら人物のまわりは無風の室内。この対比的バランスは完全無風状態のレオ様絵画にはあり得ない。(「レダと白鳥」が現存していれば、僕もまた違って見えるかもしれないけど)
二本の柱の歪みについても、レオ様もたまには線が歪む事もあるが、たとえ歪んでいても線に迷いが無いのが特徴だ。しかしこの二本の柱の歪みには未完成を演じる為の意図が感じられる。

6.その他、鼻に線が引いてある、口元の微笑のような影が消してある。等

以上の事からレオ様が描いたとは考えられにくい。
財団はラファエロがモナリザを模写したと言われる一角獣を抱く貴婦人(だっけ?忘れた)の左右に柱がある事、ヴァザーリの美術家列伝の記述と合致する要素がある事、人物の構図が数学的に(?)正確に一致している事などを論拠にしているが、構図は確かにレオ様のお得意分野で、イザベラデステの肖像(と言われている横顔デッサン。正確にはわからない。メダイオン(だっけ?)の横顔が似ているという理由)とモナリザは顔もそっくりで頭の位置から腕手肩の角度までモナリザと比率が全て一致する。(田中英道氏はイザベラデステの肖像だと同定している)岩窟の聖母も2種類ある。だが二本の柱については、AMだけではなく、実はLにも描かれていた形跡がある。Lの左右をよく見ると丸く影になっている部分がある。元々Lは今のサイズよりも大きく、2本の柱が描かれていた可能性がない訳ではない。(切り取られた?)そして美術家列伝が脚色無く正しいかどうかは定かではない。ジョコンダ婦人の件については、証拠となるアゴスティーノの書簡が出てきた為、ヴァザーリの記述は正しく、モナリザはリザ・デル・ジョコンドとされたが、そもそもヴァザーリはレオ様と同時代の人間ではないので、列伝は調査と伝聞で作成されたものだ。

では誰が描いたのだろう?
ここからはAMの特徴から導き出した僕の推理。
無名の画家。一番確率は高いが、ほぼ正確に一致する構図と卓越した技術から無名とは考えにくい。
では有名画家だっと仮定すれば誰だろう?
丸みを帯びた柔和な表現で1700年以前であるとすると、絵の特徴からしてマニエリスムの画家ではなさそうである。北方ルネサンスもあり得ない。また同時代ルネサンス期の画家というのも考えにくい。模写する可能性のあるルネサンス期の画家で、レオ様と同列か超える技量を当時持っていたのはラファエロか、ルイーニなどレオ様の弟子だが、ラファエロがこの明暗法を持っていたとは考えにくい。タッチも全然違う。ルイーニならレオ様を完コピした上に感情表現を添付するスタイルだ。だからレオ様のレールの上にない美学は描かない。バロックはどうか。カラヴァッジオ、あり得ない。ムリーリョ、かわいい絵という点で可能性もあるが、そのかわいい絵に到達する為のブラシタッチに違いがあり過ぎる。となると疑わしいのはヴェネツィア派だ。ジョルジョーネやティツィアーノはダイレクトにレオ様の影響を受けている。また硬質なデッサンを抜け出し、明暗とグレーズによって柔和な人体と自然の表現に到達した点で、AMの表現と一致する。この周辺が疑わしい。

ちょっと、今度は別角度の話になるが、AMの骨格を見てみると、非常にLと良く似ている事に気付く。眼を細めて顔面のコントラストを強めにして見るとよく分かる。そこでさっき言った鼻に線が引いてある、口元の微笑のような影が消してある。涙袋が描かれていない。若くかわいくしようとして描き直した意図がある件。
おそらく元々は、人物部分だけに特化したLの完コピだったのではないだろうか。つまり「俺はこんなにモナリザを完全に再現できるぞ。」という自信の現れだ。だが描き直している。かわいく。つまりこういう続きがある「すごいだろう。だがそれだけじゃないぞ。俺がモナリザを描くとこんなに斬新で可愛くできる。」というモナリザを通してオリジナリティを顕現させている空気感がこの絵には感じられるのである。(これをレオ様がやれたとしたら、この1作品にしかそれを使わなかったとしたら、レオ様は少なくとも「超絶的な絵を描き分け」できるが、長い人生の中であえてそれをやらなかった恐ろしい人物という事になってしまう。)

僕はティツィアーノか、その周辺の仕業ではないかと思う。衣服のパターンの同一はLを凝視できる空間か、完全に描き方を覚えられる人物にしか作れないし、グレーズの方法と眼の描き方、背景ストロークがティツィアーノに良く似ている。ジョルジョーネはもう少し荒い表現を好んでいるので、輪郭線を消去した女性の丸みを帯びた表現ができるのはどちらかといえばティツィアーノの方が得意だ。
ただし、ティツィアーノと似ていない特徴もたくさんある。
だからそうだったらという夢も含めて、もし仮にティツィアーノの作品だったとしよう。
レオ様に似ている箇所と似ていない箇所が混じっているのは何故なのか。
つまりまずLを練習として使った作品なのだ。完コピを実践してレオ様の描き方を勉強する。そして描けたらレオ様を超えようとしてオリジナリティを発揮する。服がレオ様よりリアルであるのもこの為だ。オリジナリティの部分が似ていない部分、そうでない部分はレオ様の完コピなのだ。で、この技量を持っていて且つオリジナリティを発揮できる画家は滅多にいない。

最後夢オチかよ。と思われた皆様すみません。僕は実物を見ていないし、ティツィアーノもそれほど詳しいわけではないので、結論はわからないけど、少なくともレオ様の作品である可能性は低い。しかし無名の画家ではない。この2つは確信に迫っているんじゃないかな。

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